20代で苦楽を共にした戦友がこの夏北新地にスナックをオープンするというので、その前にいろいろしゃべりたいねってことで集合。腐れ縁の社長さんに美味しいごはん食べさせてもらいながらノスタルジーに浸ってきました。
友達が選んでくれたお店、北新地のビストロ「スリーピース」。
アンティーク調の店内、凝った美味しいお料理、気のいいマスター。
積もる話するのにピッタリのシチュエーション。ここまた行きたい!
先に書いたようにこのお友達と20代のころずーっと一緒にいて、途中転職したとき同じ職場から同じ職場へ変わるっていう、なんかスゴイことをしました。
今でこそ、自分にとって必要な通り道だったのかなとも思うんだけど。
私の20代、特に前半は、お仕事に関してはなんだかほんとに不遇な感じでした。
構成スタッフの新陳代謝が活発すぎる職場ばっかり。パワハラや激務でみんな心身を病んでは去っていく。
忍耐力だけが妙にハイスコアだった私はそんな境遇を2つの職場を跨いでもなお、何年も何年も受け入れ続けて、いろんな人から憐れまれてました。
でも、私あのとき、「がんばってた」のかな??
今以上にすごく不器用だったからたくさん迷惑かけてたと思うし、それだけに上からの風当たりの強さも人一倍。密室で怒鳴り散らされた回数は数えきれない。夜が明けるまで説教されたり。夜が明けて昼になってもまだ働いてたり。インフルエンザになっても出勤させられたこともあったし。
「昼休憩」なんて早々に辞退して、無給で残業もして、もうひったすら働いてました。そうしないと回らないので。自分が悪いので。←当時の思考。
よくやってたなーほんとに。
でも、果たして「がんばってた」かな??
ずーっと「人の都合」ばっかりで生きてた10年前。
そこでストレスを溜めてるうちは周りからある程度は評価してもらえるからって、いつの間にか自分からそこに隠れて、
自分の人生に対して自分で責任をもつこと
自分の幸せのために自分で行動すること
から逃げてただけなんです。
ちなみに、そんな20代の反動なのか、30代になったら今度は人一倍ガマンがきかない人間になっちゃいました。
仕事は自分の好きなことをして、スケジュールもほぼ100%自分で組んで。
その自由度が日に日に増していってます。
全部、自分の裁量でやる。
これがコダワリになっちゃってるのは、逆に言うとまだトラウマから抜け切れてないのかな?でも、快適です。
そして、少なくともあのころに比べれば今の方がよっぽど「がんばってる」気がする。
得ることができた自由の裏には、
自分の人生は自分でマネジメントするんだ
幸せな自分でいるんだ
っていう、「覚悟」みたいなものがあります。
商売柄、仕事でもプライベートでも人の悩みをよくききますが、「何とかしたい、どうすれば」っていう「相談」じゃなくて、終わりが見えない感じの「愚痴」をきいてるときはどうしても興味が沸きません。
知らねーよ。自分で覚悟決めろよ。
わざわざお金払ってセラピー受ける人はみんな前向きなので、仕事で知らねーよとか言っちゃったことは幸い一度もないですが。
冒頭の戦友、お互い全く別のことをするようになってからここ数年は昔ほど密じゃなくなってましたが、どこかのタイミングで彼女も覚悟を決めてたんだなと思います。
これからもある意味戦友だなー。
大阪のみなさん、8月になったら新地で一緒に飲みましょう。
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