どんなことも、突き詰めていくと何かしらの社会問題にぶつかるものですねー。
今、つねづね感じていることがあります。
同時にそれは、これから私が
「セラピストとしての活動を通して取り組んでいきたいこと」
にもなりました。
私、ストレスが溜まったときに
【カウンセラーやセラピストに相談する】
という選択肢が日本で定着してほしいと思っています。
欧米諸国では、「個人に専属のカウンセラーがいる」ことが珍しくないって知ってますか?
例えばアメリカでは、セレブも一般人も日常的にカウンセラーやセラピストを気軽に訪ねてサービスを利用しているそうです。私も行って見てきたワケではないですが、海外の映画やドラマでもそんなシーンはよく見かけます。
日本のメンタルケア事情は、アメリカに比べて何十年も遅れをとっていて、私はこれをとっても問題視してます。
日本でも最近はカウンセリングや各種セラピーがようやく理解されつつありますが、広く持たれているイメージとしては「心を病んだ人が受けるもの」ですよね。まだまだ。
充分独りで苦しんだあとの最終手段のような。
これは文化の違いなのかしら。
日本人が古くから大切にしてきた「恥」の文化や我慢強い国民性が、ここに関しては悪く働いちゃってるように感じます。
そう言いながら、実際私のカラーセラピー(正式にはカラーボトルカウンセリング)を受けてくださった方がそんなギリギリの状態だったことは少ないです。
今そうやって気軽に受けていただけているのは「占い」と混同されていることに半分助けられている気がします。
(私は占いも好きだし、占いにもカウンセリングの側面がありますが)
そんな風に楽しんでいただけるのも嬉しいしこれからも来ていただきたいんですが、私が主催イベントを「色の保健室」と命名したのには別の意図があります。(っていう自分の考えが何年もかけてやっとまとまってきました)
「保健室」感覚で来てほしいんですよ。
本当に切羽詰まった状態になって然るべき医療機関を受診するよりもっと手前の段階で、
「話聴いて!」
「ちょっと助言がほしい。」
みたいな感覚で、セラピーを利用してほしいんです。
悩み事をネットのQ&Aサイトに書き込む人、いますよね。
手軽さや匿名性って意味でそれも悪くないと思うんですが、問題の背景まで書き切れない(あるいは自分でも気づいてない)状態で知らない人から無責任に心無いこと言われて余計に凹むパターンも多くて、そういう意味ではリスキーだとも感じます。
私のカラーセラピーが合う人もいれば、ほかのジャンルのセラピーが適した人ももちろんいると思います。
いずれにせよ、「あなたの心の調整に親身に付き合ってくれる人」にちょっと預けてみることで、自分の中身を整理できたり、心に抱えた荷物を減らせたりするんです。
哲学、心理学の分野で「カタルシス」という用語がありまして。
【カタルシスとは】
「精神の浄化作用」のこと。「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。
(三省堂辞書サイトより引用)
この「カタルシス」という言葉の語源はギリシャ語の“κάθαρσις”で、「浄化」とか「排泄」っていう意味です。
出すって大切ーーーーー
あなたもぜひ一度、信頼できるカウンセラーやセラピストのもとで、プロが提供するカタルシスを体験してみてください。
自己管理やメンテナンスの一環としてカウンセリングやセラピーを利用する習慣が日本でも広まってほしい。
今後もいろいろな形で、この思いを発信していこうと思います。
0コメント